第五七節 「答え」
答えというものを常に追い求めている。
行動を起こした結果・・・
物事の意味・・・
あるべき姿・・・
やるべきこと・・・
答えというものはどこにあるのだろうか?
捜し求めた先にあるのだろうか?
そこで見つけたものは本当に答えなのだろうか?
答えを探し、彷徨えば必ず答えは見つかるだろう。
しかし、それは自分の答えでしかないのではないだろうか?
自分の答えは、他人の答えではない。
他人の答えも、然るべき答えである。
では、本当の答えとはなんなのか?
そもそも、物事に答えなんてものがあるのだろうか?
自らが悩み、出した答えには自信があるだろう。
しかし、それを自信満々に他人に押し付けるのは正しいのだろうか?
「自分の考えが正しい、他人の考えが間違っている」
そんな感情は絶対に持たないとは言い切れない。
では、答えとはどうやって見つけ、どうやって共有出来るものにしていくのだろう?
自分の意見を押し付けるのは本当の答えとは言えない。
逆もまた然りである。
他人に答えを強要しない。
自分だけの答えを持ち、自分だけの世界で生きることが本当に求める答えなのだろうか?
他人の答えを受け入れ、間をとる。
今の考え方の主流はこれだろう。
しかし、自分がとことん悩み、出した答えを曲げて、間をとった答えが本当の答えになるのだろうか?
そもそも、間を取るということは、お互いの意見がぶつかることで起こる不協和音を避けているだけではないだろうか。
他人の意見を聞き入れることはとても大切なことである。
聞き入れた上で、意見の衝突で起こる不協和音も真摯に受け止め、乗り越えることで、また違った答えを導き出すことが出来るのだろう。
しかし、違った答えを導き出した先に待ち受けているものは、また同じ悩みの繰り返しである。
本当は、答えなんてないのではないだろうか。
いや、答えはあるのかもしれない。
答えを求め、回り道をしながら、一歩ずつ一歩ずつ歩んでいく。
途中で人と出会い、座り込んで考え、時には引き返す。
空を見上げ、地面を見ることもあるだろう。
そうやって歩んでいる道が人生そのものではないだろうか?
答えは、歩んだ道の先に必ずある。
答えを知ってしまったら歩むべき道は面白くなくなるだろう。
興味をなくすと人は歩みを止める。
だから、答えなんて簡単に見つからないのだろう。
答えとは、限りなく遠くにあり、そしてまた、限りなく近くにあるものなのだろう。
近くにある答えを求めること・・・ それは、あきらめるということだ。
答えは、自らが作り出すことが出来、それを、終わらせることも自らで出来る。
本当の答えとはいつも、自らの中に隠れているのだろう。
少しでも遠くに手を伸ばそう。
また一歩、先を歩くために・・・。
| 固定リンク

コメント
君の言う答えって、いわゆる目標もしくはDreamのことかい?違ったらごめんね。そうだったら、ちっちゃくてもいいから、自分で目標決めて、それを達成するために努力していけたらいいよね。過程が大事だよね。
投稿: ボッカチオ | 2009年7月10日 (金) 11時58分