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2008年10月

2008年10月27日 (月)

第五四節 「見つけるべきは他人の非ではなく、内なる自分の非」

時が経てば、外見上は修正できる。

しかし、根は壊れたままだ。

衝撃を受ければ崩壊という文字が顔を覗かす。

いつになっても修復することはない苦悩。

いつか後ずさりしてしまう不安を抱えていかなければいけないのか?

今後、崩壊する可能性が100%ないとは言い切れない。

明日なのか、数ヵ月後なのか、数年後なのか・・・。

時を懸ければ、限りなく元に近い形に近づくだろう。

しかし、それも100%ではない。

本当に必要なものはなんなのだろう。

時を犠牲に修復に努めることなのか?

不安を抱き、犠牲を最小限に現状のまま突き進むことか?

答えを探すにあたって、色々な要素が関わってくる。

「今後向かう方向」

「求めるレベル」

「自分の存在価値」

「自分の居場所」

これらの答えの一つ一つが、選択すべき行動に意味を持たす。

今は、不明確な点が多すぎる。

今の自分に存在価値があるのだろうか?

崩壊した自分に存在価値がないだけなのか?

修正した自分に存在価値が生まれるのだろうか?

時を懸け、修復した自分に居場所はあるのだろうか?

問いかけ出したらキリがない。

今のままでは答えなど見つからないだろう。

問いかけの中にある答えを、他人に託してばかりいては・・・。

存在価値は自らが作るもの。

他人に評価こそしてもらえど、判断してもらうものではない。

居場所、存在価値がなくなるのであれば、それは、自らが足りてないからではないか?

逃げてばかりいては答えは見つからない。

心の奥底に隠してきた一番の不安は、「どんな選択をしようと、自らが頑張り続けることが出来るかどうか」なのではないか。

いつまでも、甘えていてはいけない。

「全ての原因は自らにあり」

Best の答えなんていらない。

包み隠すことなく、自分と向き合い、Better な答えを導き出したい。

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2008年10月 2日 (木)

第五三節 「納得」

納得させることは容易ではない。
言葉でいくら説明しても伝わらないからだ。

行動で表せ。
それが正しかったのだと。

納得させるために意味をもたせろ。
何らかの結果を出すことで。


中途半端な行動に納得しないだろう。
たとえ、自分自身に意味があってもそれが結果として現れなければ、誰も意味の無い行動だと感じる。
それは、もう自分勝手な行動でしかないのだ。

一度やると決めたならとことん全力でやり通せ。
何があっても曲がることのない信念を持ち、その先に向かって走り抜けろ。
人が、その行動は間違っていると言おうとその先で結果を出せば、その道もあるんだと納得する。
とことんやり抜くとは、そういうことだ。

中途半端に途中で逃げ出すな。
中途半端に途中で休むな。
中途半端な考えで手を出すな。

一度、歩み出したなら自分の求める結果が得られるまで歩を進めよう。
それが、納得するというものだ。


自分自身、最近考え込むことが増えてきた。
答えの見つからない問題に。
何が正しいかなんて、何に納得するなんて答えはないだろう。
今、頭で考えることが正しいのか?
はたまた、考えるより先に行動を起こしてみるのが正しいのか?
何が答えかなんてわからない。
そんな時に気付いた。


答えなんて今にはない。
答えは未来にあるものだ。
いくら考えても先の答えに行き着くことはないだろう。
行き着いたとしても、それが答えだなんて確認する手立てがないのだ。
そんな中、一つだけ確かなことがある。
どんな道に進もうと、どんな選択をしようと、歩んだ先の結果を掴むことが出来たら自分の歩んで来た道は、ひとまず正しかったということになる。
結果を掴んだ時、本当の答えではなかったと気付いたなら、またそこから歩き出せばいい。
道の途中で別の答えを探しに行けば、今までの道は意味をなくす。
これだけは、確かなのだ。


答えは今にはない。
先の答えを手に入れるために、一歩を踏み出そう。
初志貫徹という言葉を胸に抱き、止めることのない一歩を。
怖がることなく先を見よう。
失敗した自分なんてそこにはいない。
自らが全力で歩を進め続けるならば。
先の答えを掴みに行こう。
自らが納得する自分という存在を・・・。

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