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2008年7月

2008年7月31日 (木)

第四一節 「線が細い」

最近ふと感じたことがある。
ある高校生の足を触ったときの感触。
張りがあり、内に強力なパワーを秘めていることが分かった。
そして、何よりも自分より太い。
自分より背が低いというのに・・・。
しっかりとトレーニングされ、鍛え上げられた足だった。

自身もトレーニングをしているが、負けていた。
筋肉があれば良いという訳でもないが、鍛え上げられた筋肉は、体を支えプレーに多大な影響を及ぼす。
そして、鍛え上げられた体は自分が行ってきたトレーニングの厳しさを表している。
自分はやってきたと言っても全然足りなかったのだ。
今までやってきたことは無駄ではないが、自らのイメージの中で頑張ってきただけだった。

これから、自分より若い選手、自分よりピークに近い選手と闘って行くことが多いだろう。
そういった選手達に競り勝っていくためには、ピークを超えてもピークに近い体を作り、ピークに近いパフォーマンスを行わないといけない。


大事なのは体だけではない。
メンタルなど全ての面での芯を太く強くしていかなければいけない。
今の自分達は「竹」である。
折れることはないが、周りの影響を大きく受ける。
しなやかにいなしているように見えて、周りの影響を大きく受け、周りに合わしてしまっているだけである。
周りの風がやめば元に戻るが、それは都合が良いだけなのだ。

もっと芯を太く強く持ち続けなければいけない。
どんなに強い風が吹こうが、同じ方向を指し示し立っている。
どんな環境でも、傾くことはない。
どんなに強い影響を及ぼされても、真っ直ぐ伸び続ける。
そう、そんな「大木」のように・・・。
どんなことがあろうと折れることのない芯を持った大木に。

今は、全てにおいて線が細いのである。
井を出て大海を目指してみよう。
自分がどれだけちっぽけか気付くだろう。
そして大海でがむしゃらにもがき続けろ。
その先にあるものを目指して・・・。

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2008年7月28日 (月)

第四十節 「転機」

今、大きな転機を迎えている。
自分だけでなく周りの全てが。
それに気付けている人がどれだけ居るだろうか?
気付けなければ今のまま何も変わらない。
それがたった一人でも・・・。
全ての人が転機を迎えている。
今のままで良いことなんて一つとしてない。
がむしゃらにもがき、苦しんだ先に大きな結果が待っているだろう。
全ての人が転機だと自覚し、この機会を無駄にしてはいけない。


試合を通して何を感じることが出来ただろう。
自分のミスを責めることか?
自分はよく頑張った、しかし周りがと責めることか?
そんなことは何も意味を持たない。
一度試合が始まれば、誰もが全力で勝つために貢献しようとする。
上手く作用するかしないかは別として。
試合でのミスはその試合中でしか挽回出来ない。
終わってから後悔していたら次の試合なんてないのだ。

大切なことはそんなことではないのだ。
もっと感じなければいけなかったことは、一人で闘っているのではなく、皆で闘っているということなのだ。

スタートに選ばれる選手がいれば、サブの選手がいる。
サブの選手がいれば、メンバー外の選手がいる。
メンバー外の選手がいれば、サテライトなどサポートしてくれる選手がいる。
サッカーをする選手がいれば、それを応援してくれるサポーターがいる。

試合に出る選手は、それら全ての気持ちを背負いプレーしなければいけない。
本当に出来ていただろうか?

否、出来ていなかった。
あるプレーを境に、一番に希望を失いかけていたのは選手達ではなかったか。
色んな方の気持ちを代弁してプレーし続けなければいけないのに・・・。

今回は交代で入った選手の気持ちとサブの選手の気持ちのおかげで救われた。
今一度、大切なことに気付けただけでなく、次に繋がったのだ。

大切なことがなんなのか?
今一度一人一人見つめ直さないといけないだろう。

観ているものが感動する試合。
これこそが、一人ではなく皆で闘えた時に出てくる一つの答えだろう。

今こそ転機なのだ。
今を逃せばいつまでたっても変わらない。
多くの方が我慢し、与えてくれたチャンスを無駄にしない為に・・・。


~本日の練習~
★天皇杯高知県予選準決勝
  南国高知FC vs 高知中央高校
   前半  0 - 2
   後半  4 - 1
   合計  4 - 3        (先発フル出場)

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2008年7月24日 (木)

第三九節 「感謝の気持ち」

これは、あるブログを読んで思い出した言葉である。
高校の時に教わったけど最近忘れかけていた言葉である。

「感謝の気持ちを持つ」

簡単そうで難しい。
持っているようで持っていない。
出来ていないのに出来た気になっている。


何事も自分一人では成し得ることは出来ない。
そこには多くの人が絡み、多くの手助けがあり、そして自分自身の成功となる。
中には、間接的な手助けもある。
失敗に関しても同じである。
失敗という結果は、自らの選択のミスであって周りが悪いのではない。
それら全てに感謝の気持ちを持つ。
なかなか出来ることではない。

感謝の気持ちを持つ対象は人だけにあらず。
しかし、そこまで考え出すと余計難しくなる。
だから、まず身近なものに感謝してみよう。

例えば、グラウンドとボールがあることに感謝。(そこには、準備してくれた人などが含まれる)
審判をしてくれることに感謝。
そして、何よりも相手チームがいることに感謝。

それぞれが感謝の気持ちを持てると驕りがなくなるだろう。
それぞれが感謝の気持ちを持てると傲慢さがなくなるだろう。
それぞれが感謝の気持ちを持てると逆に相手から感謝されるだろう。

最近感謝の気持ちを持てていただろうか?
知っているだけでは何も変わらない。
行動に移さない限り。
だから、まず心の底から感謝してみよう。
最初は身近な人からでも構わない。
言葉にして伝えてみよう。
「ありがとう」と心から・・・。

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2008年7月22日 (火)

第三八節 「道を閉ざすものは自分」

人は誰も無限の可能性を秘めている。
全ての人間が、180度違った自分を手に入れることも可能なのだ。
しかし、それは思っている程簡単なものではない。

5度違った自分を手に入れることは容易だろう。
手に入れたい自分の角度が上がれば上がる程、時間も苦労も上乗せされてくる。

小さな目標を達成することは容易だろう。
手に入れたい目標が大きければ大きい程、困難さを増す。

それに耐え切れず、多くの人が挫折の道を選んでしまう。
「自分には才能がない」「努力しても変わらなかった」「自分には無理ということが分かる」という理由で・・・。
これらは全て言い訳でしかない。
「自分には才能がない」・・・才能があれば、その道を手に入れるのも極めるのも早いだろう。しかし、才能がなくても同じレベルに達することは必ず出来る。ただ、歩むスピードが違うだけであって・・・。
「努力しても変わらなかった」・・・本当に努力出来ていたのか?目的の途中で自らを評価しても途中なことには変わりはない。目的を達成した時に初めて、よく頑張った、よく努力したという評価を得るのではないだろうか?道の途中で挫折したならば、それまで本当に頑張っていたとしても無駄でしかなくなる。努力していなかったということと同じである。
「自分には無理ということが分かる」・・・これは、単なる言い訳でしかない。変われる可能性があるかもしれない。手に入れる可能性が極小だがあるかもしれない。その可能性を全て拒否してしまっている。

人は、諦めさえしなければ必ず変われる、手に入れられる。
全ての可能性を全ての人間が秘めているのだ。
他人より苦しい、努力しているのになかなか変われないと思うことは、それだけ自らの目標が高いのだ。
途中で投げ出してしまうことには何も意味はない。
なかなか結果が現れなくても、少なからず自分には変化として影響を与えている。
苦しくても、投げ出したくなっても続けてみよう。
諦めず歩き続けた道の先には、自らが求めるモノが必ず待っている。

人は皆変われるのだ。
必ず欲しいものは手に入れられるのだ。
時間と根気と自らの意思の強さが続く限り・・・。


~本日の練習~
★個人練習
プール 2時間程

★チーム練習
オフの為休み

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2008年7月17日 (木)

第三七節 「新たな第一歩」

平坦と思っていた道で躓いた。

何故、躓いたのかと顔を上げてみると目の前には永遠に続く坂道が広がっていた。

振り返ると、今まで歩んできた道も平坦でなかったことに気付く。

気付かなければ無我夢中で前に進んだだろう。

しかし、気付いてしまった。

そこが坂道であることに・・・。

気付いてしまった。

自分が立ち止まったことに・・・。

気付いてしまった。

次の一歩をどちらに踏み出そうか迷っていることに・・・。

前に進めば長く険しい上り坂、引き返せば歩み慣れた下り坂。

その先には何が待っているのか。

靴紐を結び直して歩み始めよう。

待つものを知るために・・・。

再び歩み始めよう。

前に向かって。

何度立ち止まろうが、何度振り返ろうが、後ろを向くことはない。

自分が全力で歩んで来た道なのだ。

だから前を向いて歩き出そう。

新たな第一歩を踏みしめて。

希望への第一歩と信じて。

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2008年7月14日 (月)

第三六節 「成長の過程」

成長を終えることはない。
一生涯を賭けて成長し続けて行くのだ。

生涯を賭けた成長の中には、大小様々な成長がある。
また、その中にも良い経験から得られる成長と、悪い経験から得られる成長がある。
それらのことを経て、一人の自分自身というものを確立していく。

自分自身も成長の途中である。
成功もあれば失敗もある。
満足もあれば後悔もある。
しかし、それらは全て少なからず自らを成長させて行く。
後に後悔をすることは多々ある。
それを悔やんでも、終わってしまったことは取り返しがつかない。
だったら、何をするのか?
それは今からの行動で現すしかない。
今までと同じ事をこれから起こさないようにしなければならない。
そうすることで成長したかどうかを感じることが出来る。
同じ事を繰り返していたら、同じ感情を抱くだけである。

成長への道のりは、人それぞれに違う。
先にその場所へ辿りついている方は、「当たり前の事じゃない、何言ってるの?」と感じるだろう。
しかし、私は今それをつくづく感じているのだ。
今まで、気付くべき場所が多々あったかもしれない。
しかし、今改めて気付くことが出来たのだ。

これらを無駄にしないため、同じ事を繰り返さないために、成長するということを見つめなおしてみようと思う。

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2008年7月10日 (木)

第三五節 「評価するのは・・・」

自分で自分を評価していないだろうか?
自分で評価した結果ほど、意味の無いものはない。

否、自分自身で評価してもいいのだ。
しかし、それで満足してはいけない。
自分での評価はあくまで自分での評価でしかないのだ。

人間とは自分に甘く、他人に厳しい生き物である。
自分に厳しい人は、他人にも易しく出来るがほとんどの人が自分には甘いだろう。
そんな生き物だから、自分自身を評価しても甘い結果しか出ないのだ。

ここまで言えば気付く方もいるだろう。
そう、自らの評価をしてくれるのは他人なのだ。
他人は厳しい目で自分を評価してくれる。
世間一般での自分の評価を確立してくれるのだ。


自分で今日は頑張ったと思っていても、他人がまだまだ甘い、もっと頑張らないとと言えば、自分は頑張ってなかったのだ。
自分が、良いことをしたと思っていても、他人が悪いことと思えば悪いことなのだ。
正しいと思うことでも間違いと言われれば間違いになってしまう。
世間とはそういったものになってしまっている。

だからといって、個性を捨て他人の思うがままの人間になれということではない。
個性を捨てる必要はない。
その個性を認められるまで努力し、個性を認められるように工夫をしていく必要があるだけなのだ。
他人に認められて、評価されて初めて自分の居場所が出来る。
時には辛く苦しい思いもするだろう。
しかし、折れずに努力し続けることで何らかの結果は現れる。
それが、他人からの評価であり、自分の居場所なのだ。

自分で頑張った、良くやったと思うようではまだまだ甘い。
もっと余力を残しているし、大きな力も秘めている。
他人に認められたいから頑張るのではない。
自分の居場所を作るために、自分をより良く成長させるために、自らを評価することを止めよう。
時には、自分を誉めることも、自分を評価する時も必要である。
それを、一時の休息にして・・・。

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2008年7月 9日 (水)

第三四節 「アスリート」

アスリートとは、トップレベルの選手に対してだけ使う言葉ではない。
全ての人がアスリートであり、誰もがアスリートになれる素質を秘めているのだ。

では、具体的にどんな人がアスリートと呼べるのだろう。
それは、種類は問わずスポーツを真剣に取り組んでいる人である。
真剣に取り組んでいるかいないかは自己評価で構わない。
大切なのはそこではないのだ。
真剣に取り組むということは、ただレクリエーションで行うのではなく、今のレベルより少しでも上を目指そうと思い努力することなのだ。
レベルの高い、低いは関係ない。
どのレベルでも常に努力し続ける人はアスリートである。

逆に言えば、努力し続けることが出来なくなった人はアスリートではなくなるのだ。
その見切りをつける段階を、私は 「アスリートの引退」 と呼んでいる。
実際にそのスポーツを辞めるわけではない。
生涯続けていくこともあるだろう。
しかし、アスリートではないのだ。
更なるレベルアップとはかけ離れた、ただ身体を動かすだけのものになってしまうのである。

今、自分の周りにはアスリートを引退した人がいるかもしれない。
そういった時期に差し掛かって悩んでいる人がいるかもしれない。
しかし、自分はまだアスリートであり続けたい。
だからこそ、常に上を目指して行きたいのだ。
試合に出れないから、納得のいかない起用だからと言って下を見たくないのだ。
下のレベルに行けば出ることも可能だろう。
そのチームで中心選手に成り得ることも出来るだろう。
しかし、そこに行ったからと言って何を得ることが出来るのだろうか?
その先にはアスリートの引退しか待っていない。


人それぞれ目的が違う。
全ての人がこれらを求めてスポーツをしているとも言わない。
しかし、自分はアスリートになり更なるレベルに身を置くことを求め続けてきたのだ。
ここ数ヶ月、頭の片隅で悩んできた。
しかし、色々な人と接することで、色々な話を聞く中で、自分の引退はまだ今ではないと感じた。
はっきりと答えは出ていないがそう思いたい。

だからこの先、何日、何ヶ月、何年続くか分からないがアスリートであり続けたいと思う。


~本日の練習~
☆個人練習
1.デルタ腹筋  100回
2.ベンチプレス  50回
3.プッシュアップ  100回
4.シットアップ  300回
5.ジャンピングランジ  100回
                   予定達成率 48%
             合計 1時間

☆チーム練習
仕事の為休み

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第三三節 「達成は犠牲の上に」

何かを達成するためには、少なからず犠牲が必要である。
犠牲なく得られるものなど一つとしてない。

誰でも予定を立てることは簡単に出来る。
しかし、予定を達成出来るのは本当に意思の強い人間だけである。

予定を立てる。
予定を達成するためには、そのために時間を割かなければいけない。
その時間には、楽しいことなどいろいろなことが詰まっているだろう。
しかし、その誘惑に打ち勝ち予定をこなす為に割かなければいけないのだ。
ほとんどの人間が誘惑に負けてしまうだろう。
自分とて例外ではない。
楽に向かう誘惑は強力なのだ。
今すぐに予定を達成する為に多くの時間を割かなければいけないとなると、難しい。
しかし、10のことをするという予定を立てたなら、その内3つの予定をこなす時間を割くのは容易に出来る。

まずは、予定達成の為に何かを犠牲にするということに慣れるのだ。
そして、犠牲にすることが苦にならなくなって来たなら、そこから割く時間を増やしていく。
そうすると、以前よりも容易に予定達成の為の犠牲を受け入れるだろう。

自分もまだまだ、誘惑に負ける部分が多すぎる。
それは、遊びたいという感情であったり、しんどい、まいっかといった感情でもある。
これらは、マイナスの影響を及ぼすことはあってもプラスに影響を与えることはない。

目標が高ければ高いほど、犠牲も大きいだろうがそれに打ち勝って行きたい。

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2008年7月 5日 (土)

第三二節 「爆睡眠」

睡眠とは人間にとって欠かせない。
睡眠をとらないと人は死ぬことさえあるのだ。
悪い事ばかりではない。
睡眠中は、身体の機能を低下させ、回復を促してくれる。
成長ホルモンも、睡眠中に多く出される。
睡眠をとらなければ、身体のリズム、バランスが崩れ成長、回復も滞ってしまう。
そんな大事な睡眠をちゃんと取れているだろうか?


一日の睡眠時間は、大体7時間ぐらいがいいと言われている。
しかし、ゴロゴロと10時間程寝る時もあれば、夜更かしして5時間ぐらいしか寝れない時もある。
そんな時、目覚めは身体が重く、頭が重く、すっきりとした感覚とは遠くかけ離れているだろう。

人の睡眠は、3時間単位でレム睡眠とノンレム睡眠の周期が繰り返される。
3時間、6時間、9時間の睡眠を取ると、意外とすっきりとした目覚めになるものである。

以上のことは、世間でよく言われていることである。
しかし、自分はもう一つ大切なことがあると考える。
それは、欲求である。
人は、喉が渇けば水を飲む。
喉が渇いてないのに水を飲みたいとは思わない。
無理して飲んだとしても満足することなんてないのである。
睡眠に関しても同じではないだろうか?
身体が、頭が欲求していないのに、無理矢理に行動をとっても本当の満足は得られない。
だから、遅くまで起きて眠くなるまで待てばいいのかと言えば、それは間違いである。
ただ、受け身で欲求を待つのではなく、積極的に欲求を生み出すのだ。
身体が睡眠を欲しがる状態とはどういう状態なのか?
それは、身体が回復を求める状態である。
本当に満足する睡眠を得ようとするならば、回復を求める状態に身体を持っていけばいいのだ。
それは、倒れるまでの刺激を与えることかもしれないし、軽い刺激だけなのかもしれない。

満足する睡眠なんて得られなくても良いと思えば、実行しなくても良い。
しかし、満足する睡眠の時間は、他に類を見ない程の至福の時なのだ。

「求まぬなら、求めさせてみよう、己の身体」


~本日の練習~
☆個人練習
1.バイク  15km
2.ランニング  30分
3.チェストプレス  50kg × 30回
4.レッグプレス  190kg × 30回
5.ジャンプ  50回
6.ジャンピングランジ  100回
7.リフティング  500回
8.プッシュアップ  100回
9.シットアップ  200回
10.背筋  200回
                    予定達成率 100%
               合計 3時間

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2008年7月 4日 (金)

第三一節 「予定だけでは身にならない」

予定を立てることは簡単である。
特に、人は何かをしようと意欲を燃やしている時、綿密に予定を作る。
それは、思いつきでありながら目標に向かって、緻密に計算された予定でもある。
しかし、予定を立てた時点で終わってしまうことがほとんどだろう。
実行に移したとしても、継続出来ずに終わってしまっているだろう。
それでは、目標に向かって緻密に計算された予定であっても、何の意味も持たなくなるのだ。

では、何故予定を立てるだけで実行に移せないのだろう。
意志が弱い、継続する強さがないという意見は言わなくても分かるだろう。

しかし、もう一つ重要な部分が継続出来ない理由に作用しているのではないかと思う。
それは、実行したとしてもそれだけで終わってしまう。
すぐには結果が出ないものばかりだから、結果が出る前に投げ出してしまう。
といった部分である。
人は、何かを行う時必ずと言って良い程結果を求めてしまう。
結果を求めずにやり続けれる人など、極少だろう。


そうなのだ。
大切なもの、自分のモチベーションを継続させ、尚且つやったことの意味がすぐに分かるような結果が欠けていたのだ。
しかし、それを見つけ出すのは容易ではない。
容易でないから今まで見つけることが出来なかったのだ。
今回、自分用にトレーニングの予定を立ててみた。
続けれるかどうかわからない。
しかし、予定をこなせても、こなせなくても、モチベーションを継続出来るような結果を出しながらやって行きたいと思う。

「誰でも思うことは簡単に出来る。 実行に移せるかどうかで差が生まれるのである。」

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2008年7月 3日 (木)

第三十節 「怪物の手引き」

ある1冊の雑誌。
そこにはある男のことが記されていた。
名前はバーノン・デービス。
歳は自分と同じである。
NFLで怪物と呼ばれる選手だ。

怪物たる由縁は、その類まれなる身体能力である。
身長191cm、体重114.8kgでありながら40ヤード走4.38秒で走り、垂直飛び107cm跳ぶ。
自分の身の回りで比べてみるとすごさが分かるだろう。
相撲取りクラスが陸上選手並の速さで走るのだ。
イメージするだけでも困難である。
しかし、それを可能にするのが限界以上に鍛え抜かれた鋼の肉体なのだ。
ベンチプレス 217.7kg 、 スクワット 310.7kg 、 クリーン 161.0kg 、 体脂肪率 4%の身体が不可能な記録を可能へと変えていくのだ。

バーノン・デービスも最初からこれらのことを行えた訳ではない。
成り得る才能はあったかもしれない。
しかし、何よりもこの肉体を得ることが出来たのは継続する強さがあったからだ。
どんなに強靭になろうと満足しない。
どんなにすごい結果が出ようと満足しない。
常に上を見続け、自分との闘いに勝ち努力し続ける強さがあったのだ。

才能を持っている選手でも難しいことである。
しかし、成功し更に記憶に残る選手は、才能の上に努力を積み重ねている。
カズ、イチローを取ってみてもそうだろう。


天才は、99%の努力と1%の才能で出来ていると言われている。

バーノンデービスは、
「自分は、競争心が人一倍強いだけだ。 一番でなければ気がすまない。 自分のほうが劣っているなんて耐えられない。 その気持ちが必要だと思う。 それがあるからこそ、進歩できる。 自分よりベンチプレスで思いウェイトを上げる選手がいたら、彼に勝つために、彼以上の努力をする。 すべてはウェイトトレーニングから始まる。 ウェイトトレーニングによって、爆発力をつけ、強くなることができる。 トレーニングで努力する選手なら、フィールドでも頑張る。 相手選手をパワーで圧倒することができる。 すべてはウェイトトレーニングから始まるんだ。」
と言っている。

自分の身体能力はウェイトトレーニングによって作られる。
周りに才能と言われている身体能力は、努力し続けてきたウェイトトレーニングによって培われて来たのだ。
才能とは、本当に1%分しか影響を及ぼさないのかもしれない。
才能を凌駕するものは、努力しかないのだ。

ウェイトトレーニングも必要だが、ウェイトトレーニングだけが全てではない。
何事に関しても、努力し続けること。
それを大切にすることが、成功への道なのだ。
それは、決して近道ではない。
しかし、遠回りでもないのだ。
真っ直ぐ、ゆっくりとだが成功への一本道を歩いて行こう。

「努力したものが成功するとは限らない。 しかし、成功したものはすべからず努力している」

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2008年7月 2日 (水)

第二九節 「出会い」

人と知り合うということは、自分が歩んできた道と違う道の歩み方を学ばせてくれるということである。
また、今まで自分が歩んできた道の間違いを気付かせてくれたり、これから歩むであろう道の注意点を学ばせてくれたりもする。
時には助けになってくれたりもする。
人と出会うということは、自分にとってマイナスに作用することは少ないのである。
高知に来て、今年で7年目。
多くの方と出会い、知り合ってきた。
年代に決まり無く、幅広く知り合うことが出来た。

出会いは、待っているだけでは訪れない。
周りがチャンスを与えてくれることもあるが、基本は自分から積極的に求めていかないと得ることは出来ない。
特に自分は県外人。
今までの出会い、これからの出会いを大切にして行こうと思う。

こうやってつくづく思えたのも、最近ある人と出会ったことがきっかけだった。
相手が自分のことをどう思っているか分からないが、この出会いを大切にしようと思う。

「求めるものがあるならば、積極的に行こう。 待っていても誰も与えてはくれないのだから・・・」


~本日の練習~
<日曜日>
四国リーグ 第10節
 南国高知FC vs 昭和クラブ
  前半  1 - 0
  後半  2 - 0
  合計  3 - 0   (先発フル出場)

U-15 GK講習会
 中学生1~3年生 約30名に指導

<月曜日>
オフの為休み

<火曜日>
仕事の為休み

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