2009年6月16日 (火)

第五六節 「我と他」

成長は一人で出来るものではない。
我だけで切磋琢磨しようとも、結果は井の中の蛙でしかない。
他というものさしで、我を測ることで我という存在を確認する。

我だけで我自身に向き合おうとしても、我によって霞がかる。
他という存在に映し出すことで、我自身に初めて向き合え、存在意義を確認する。

我だけで生きていくことは出来ない。
他に助けられ、他に触れることで孤独を知り、つながりを知る。

我だけで・・・

人は、「我欲」なるものを必ずしも持っている。
我欲を持つことが決して悪いことではない。
しかし、我欲のみでは何も生まれない。


我のみに目を向け続けることで、狭い世界を生み出してしまう。
他を直視し、他の意味を知り、他と触れることで我の世界は無限に広がる。
我の中にある無限の可能性に気づくだろう。


我を捨て、他を知る。
他を知り、我を得る。

我を本当に知った者は我を捨てる。
そして、他に目を向ける。
他を知り、存在を認めた先に我に戻る。
その時、我の存在は意味を持ち、かけがえのないものへと変わっているだろう。

我は他によって生み出され、他によって育てられる。
他によって創られた我は、他を生み出し、他を育てる。

我とはそういうものなのではないだろうか・・・

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2008年11月 7日 (金)

第五五節 「本来あるべき姿」

他人が居て、自分がある。
自分があって、他人が居るのではない。
そこを間違えてはいけない。
決して間違えてはいけないのだ。


今、周りではやってもらえることが当たり前になりつつある。
サッカーのことを取り上げてしまうが、マネージャーも、トレーナーも、スタッフも、サポーターも、自らの何かを犠牲にして自分達に与えてくれているのだ。
自分自身の為に無駄な犠牲を払っている、そんな人は一人もいない。
誰もが、「あなた」の為にという気持ちで取り組んでくれている。
全ては選手が120%の力でプレー出来る為に・・・。

勘違いしてはいけない。
今の自分があるのは、周りの人が居てくれたからなのだ。
決して自分自身だけで歩んで来れたわけではない。
もっと感謝をしなければいけない。
誰もが口では感謝してると簡単に言えるだろう。
そんなものはなんの意味も持たない。
本当に感謝しているなら行動で表せよ!

選手はプレーするだけが恩返しではない。
怪我人は怪我を治すだけが恩返しではない。
それらは全て、自分自身の為に行っているに過ぎないのだ。
スタッフは練習、準備、片付け、サポートの仕事を行うのが当たり前ではない。
サポーターは応援してくれることが当たり前ではない。
自分達が少しでも長く、少しでも良い状態でプレー出来るように手伝ってくれているだけなのだ。
今、自分達はこの状況が当たり前になってないか?
「ベテラン」、「若手」、「スタメン」、「サブ」、「トップ」、「サテライト」、「怪我人」そんなものは全く関係ない。
どんな状態であれ、考えれば出来ることがあるはずだ。
出来ないと思うことは逃げているだけでしかないのである。

自分があって、他人が居ると考える者の成長はもうそこまでだろう。
しかし、他人に感謝し居続ける者の成長の可能性は限りない。
周りに感謝出来る人間は、人を惹きつける。
人を惹きつける人間は、多くの経験を積み、人としての成長を遂げ続ける。
多くの助けがあるからこそ、自分の力も膨らみ、躊躇なく発揮出来るのだ。
これは、サッカーに限らず全ての事柄に言える。


この世界に当たり前のことなんて一つとしてないだろう。
助けられ、支えられることで当たり前に出来ているだけなのだ。
今変わるべきは大きなことではない。
個人個人の目の前にあることではないだろうか・・・。

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2008年10月27日 (月)

第五四節 「見つけるべきは他人の非ではなく、内なる自分の非」

時が経てば、外見上は修正できる。

しかし、根は壊れたままだ。

衝撃を受ければ崩壊という文字が顔を覗かす。

いつになっても修復することはない苦悩。

いつか後ずさりしてしまう不安を抱えていかなければいけないのか?

今後、崩壊する可能性が100%ないとは言い切れない。

明日なのか、数ヵ月後なのか、数年後なのか・・・。

時を懸ければ、限りなく元に近い形に近づくだろう。

しかし、それも100%ではない。

本当に必要なものはなんなのだろう。

時を犠牲に修復に努めることなのか?

不安を抱き、犠牲を最小限に現状のまま突き進むことか?

答えを探すにあたって、色々な要素が関わってくる。

「今後向かう方向」

「求めるレベル」

「自分の存在価値」

「自分の居場所」

これらの答えの一つ一つが、選択すべき行動に意味を持たす。

今は、不明確な点が多すぎる。

今の自分に存在価値があるのだろうか?

崩壊した自分に存在価値がないだけなのか?

修正した自分に存在価値が生まれるのだろうか?

時を懸け、修復した自分に居場所はあるのだろうか?

問いかけ出したらキリがない。

今のままでは答えなど見つからないだろう。

問いかけの中にある答えを、他人に託してばかりいては・・・。

存在価値は自らが作るもの。

他人に評価こそしてもらえど、判断してもらうものではない。

居場所、存在価値がなくなるのであれば、それは、自らが足りてないからではないか?

逃げてばかりいては答えは見つからない。

心の奥底に隠してきた一番の不安は、「どんな選択をしようと、自らが頑張り続けることが出来るかどうか」なのではないか。

いつまでも、甘えていてはいけない。

「全ての原因は自らにあり」

Best の答えなんていらない。

包み隠すことなく、自分と向き合い、Better な答えを導き出したい。

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2008年10月 2日 (木)

第五三節 「納得」

納得させることは容易ではない。
言葉でいくら説明しても伝わらないからだ。

行動で表せ。
それが正しかったのだと。

納得させるために意味をもたせろ。
何らかの結果を出すことで。


中途半端な行動に納得しないだろう。
たとえ、自分自身に意味があってもそれが結果として現れなければ、誰も意味の無い行動だと感じる。
それは、もう自分勝手な行動でしかないのだ。

一度やると決めたならとことん全力でやり通せ。
何があっても曲がることのない信念を持ち、その先に向かって走り抜けろ。
人が、その行動は間違っていると言おうとその先で結果を出せば、その道もあるんだと納得する。
とことんやり抜くとは、そういうことだ。

中途半端に途中で逃げ出すな。
中途半端に途中で休むな。
中途半端な考えで手を出すな。

一度、歩み出したなら自分の求める結果が得られるまで歩を進めよう。
それが、納得するというものだ。


自分自身、最近考え込むことが増えてきた。
答えの見つからない問題に。
何が正しいかなんて、何に納得するなんて答えはないだろう。
今、頭で考えることが正しいのか?
はたまた、考えるより先に行動を起こしてみるのが正しいのか?
何が答えかなんてわからない。
そんな時に気付いた。


答えなんて今にはない。
答えは未来にあるものだ。
いくら考えても先の答えに行き着くことはないだろう。
行き着いたとしても、それが答えだなんて確認する手立てがないのだ。
そんな中、一つだけ確かなことがある。
どんな道に進もうと、どんな選択をしようと、歩んだ先の結果を掴むことが出来たら自分の歩んで来た道は、ひとまず正しかったということになる。
結果を掴んだ時、本当の答えではなかったと気付いたなら、またそこから歩き出せばいい。
道の途中で別の答えを探しに行けば、今までの道は意味をなくす。
これだけは、確かなのだ。


答えは今にはない。
先の答えを手に入れるために、一歩を踏み出そう。
初志貫徹という言葉を胸に抱き、止めることのない一歩を。
怖がることなく先を見よう。
失敗した自分なんてそこにはいない。
自らが全力で歩を進め続けるならば。
先の答えを掴みに行こう。
自らが納得する自分という存在を・・・。

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2008年9月25日 (木)

第五二節 「出会い、別れ、そしてまた出会う」

出会いがあれば、必ず別れは来る。
ずっと居ることなんてないのだから。
しかし、それは別れではないのだ。
それは、また次に出会うための準備なのである。


人にはそれぞれ考えがある。
何故、別れを選ぶのか?
時には理解し、時には賛同しかねる時もある。
何が理由かなんて、一緒にいればある程度分かる。
しかし、本当にそれだけなのか?
他に意思を固めるキッカケがあったのではないか?
それを知るのは本人だけなのだ。
周りは少しでも長く一緒に居ようとアプローチする。
しかし、最後に決めるのは本人なのだ。

全ての別れは、自身の満足を得ようとした結果だと私は思う。
現状に不満を抱えているからこそ、別れという選択肢が出たのだろう。
では、満足とはどこにあるのだろうか?
現状の先にあるのだろうか?
別れを選んだ先にあるのだろうか?
全く別の場所にあるのだろうか?
それは、誰も知らない。
人それぞれに満足するものがあり、満足を得る度合いも異なる。
誰もが同じもので満足し、満たされるということはないのだ。
だからこそ、苦しみ、考え、失敗しながらも右往左往すればいい。
人生とは満足を探す旅なのだから。


私は、本当に満足を得られる時は寿命を全うし、死を迎えた時なのではと考えている。
(実際に体験していないので賛否両論あるだろうが)
だから、皆どこに行っても満足を求め動き続けるだろう。
求めるものが同じ方向を向いていれば、道は違えどどこかで必ず出会う。
今の別れは、その時出会うための準備なのだ。
誰も正しいことなんて知らない。
誰も選んだ道をバカにすることは出来ない。
誰も他人の道を決め付けることなんて出来ない。
全て、自分自身が自分の為に出した答えなのだから。


自分もいつかは旅立つときが来るだろう。
別れを選んでも。
人生はいつも一緒のリズムでは進まない。
その都度、苦しみ、考え、結果を出せば良い。
何度後悔してもいいではないか。
最後に満足する瞬間が訪れるならば・・・。


だから、私の前から去っていく者よ。
「目標を捨てるんじゃない」
同じ目的地に辿り付くことが出来なくなるから。
「満足をすることを諦めるな」
諦めた時点で、人生という旅が終わりを迎える。
「別れを選んだことを、誰もバカにはしない」
いつかは自分自身がそちら側になるのだから。

だから、この言葉を送りたい。
今、別れ旅立って行く者に。
そして、これから別れ、旅立ちに対面していくであろう自分に・・・。

「GOOD BYE」 ではなく、 「SEE YOU AGAIN」 という言葉を。

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2008年9月18日 (木)

第五一節 「永遠のループ」

何故合わないのか?
その答えは自分の中にある。
気付いてないフリをしているだけで知っているはずだ。
ただ、その答えから逃げているだけだろう・・・。


他人とは自分を映し出す鏡である。
怒りを持って接すれば、相手も怒りを覚える。
笑顔を持って接すれば、笑顔で返される。
苦手を持って接すれば、相手も苦手と感じる。

笑顔を持って接して、怒りで返されることは余程の状況でない限りあり得ない。

殻に閉じこもるから、周りから呼び掛けられなくなる。
自らの心情をさらけ出せば、周りも壁を取り払ってくれる。
和を持つことが出来れば、争うことはない。

自分の意見が素直に伝わらないのは、今までの自分の態度が示している。
他人が自分が嫌だと思う行動をとることも、今までの自分がカギを握っている。


他人は自分を映し出す鏡である。
与えることで見返りを求めるのではない。
与える、見返りといった感情を捨てるのだ。

相手に求めるのではない。
求める前に自分が行動してみるのだ。

他人に責任を擦り付けるのではない。
自らを見つめ直し、責任を受け止めるのだ。


自分は、相手に求め、責任を転嫁してきたのかもしれない。
自らが変わる事で、現状を打破出来ることは容易に想像できる。
しかし、変わった先は未知の世界。
180度変わった自分が、その世界に生きている。
今の自分が、その世界で生きるには、苦痛、苦悩、歯痒さ・・・、いろいろなものと闘っていかないといけないだろう。
それに耐えることが出来るのか?
本当に変わる事が正解なのか?
正解なんて無い事は知っている。
どう行動しなければいけないかの答えも自らが持っている。


180度変わった世界に恐れ、変わった自分に苦悩し、一歩を踏み出すことが出来ず、永遠のループへと嵌っていく。

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2008年9月12日 (金)

第五十節 「最高の先生は過去の自分」

過去を振り返るな。
前を向いて歩き続けろ。

人は過去は過去とし、先を見据え続けて生きていく。

自らもそれで良いと思っていた。
しかし、本当にそれで良いのか?
過去も自らが歩んできた道、そこは平坦な道ではなかったのだから・・・。


言葉とは難しいものである。
発するとなると、世間体を気にし思っていることを言えなくなる。
全てを取っ払い、表現したとしても時間と共に忘れ去られる。
しかし、
綴るとなると、包み隠すことなく言葉が並ぶ。
記すと、記憶として残り、記録として見返すことも出来る。


私は、このブログを開設する前、不定期ながらサッカーノートを記していた。
今回、それを見返す機会があった。
そこには、不細工で不恰好な文字が並べられていたが、しっかりと自分の歩んできた道が言葉として記されている。
一つの出来事で喜び、一つの出来事で落ち込む。
本当に起伏の激しい人生を送ってきたものだ。
しかし、その都度気持ちを、学んだことを裸のままの言葉として残している。
今は、失われかけた感情がそこにはあった。

過去があるから、今の自分がある。
世間体を恐れず、抱いた感情。
失敗、苦難を乗り越えてきた強い精神力。
今でも後悔し続ける妥協。
他人から伝えられた大切な言葉。
未来の理想の自分を手に入れる為のヒント。
過去、自らが歩んできた道には色々な物が転がっており、そこにしっかりとした足跡を残してきていたのだ。


過去に目を向けることも大切である。
過去を後悔する必要はない。
後悔しても何も変わらないのだから。
過去の自分を物語として読み返す。
それぐらいの気持ちで良いのだ。
文字を通して情景をイメージし、そこに表される文字の意味は自らが作り出せる。
今日読んだ文字を一年後に読めば、また新しい言葉として自分に降り注ぐだろう。

その先には必ず、豊かな自分が待ち受けていることだろう。

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2008年9月 8日 (月)

第四九節 「スタートライン」

勝負の世界は厳しい。
たった1点、たったコンマ1秒、たった数mmでさえ勝敗が分かれる。
その差は、紙一重であり天と地ほどの差でもある。
捉え方は人それぞれ自由だが、本当の意味で現実を見つめることが出来た者がさらなる成長へと歩み出せることだろう。


ほんの僅かな差であっても、勝敗がつく。
僅差の勝負であっても、その時に感じる差は、勝者と敗者は決して同じものではない。

勝者が感じる差とは、その言葉の通り本当に僅かな差でしかないのだ。
同じ状態で試合をしたならば、6割程の確立で勝利を得ることが出来るだろう。
しかし、6割程でしかないのだ。
一歩間違えれば、自らが敗者になりえるのだ。

逆に敗者が感じる差は全くの正反対である。
感じる差というよりも、そう感じなければいけないのだ。
どれだけ僅差の試合をしても、敗者は敗者でしかない。
次やったら勝てると思っていれば、高い確率でもう一度敗者になるだろう。
敗者にとって紙一重とは、それほど大きな差なのだ。

勝敗を分ける要素の一つとして、自力の差が挙げられる。
楽な試合より苦しい試合にこそ勝てる者が、他の者よりも自力が勝っていると言える。
負ける者は、自力が劣っていたのだ。
自力の部分に運は作用しない。
自力の勝っている者が確実な勝利を収めることが多い。
それが、勝負の世界なのだ。


しかし、蔑むばかりでなくていい。
敗者になったとはいえ、紙一重の試合を行うことが出来たのだ。
今まで余裕で勝ってきた相手にではなく、大差で屈辱的な負けを喫してきた相手にだ。
だから、自信を持って良い。
自分たちはここまでの力を持っているのだと。
しかし、そこに満足してはいけない。
今回が最高に近い試合ではなく、今回を最低ラインにしなければいけない。
求められるのは更なる成長。
目指すは高い目標。


もう一度スタートラインに立とう。
それ以上後ろに下がることはないのだから。
前を向いて走り出そう。
最高の舞台で最高に感動出来る試合を目指して・・・。

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2008年8月29日 (金)

第四八節 「初心忘るるべからず」

人は時が進むにつれていろいろなものを背負い込む。
それには必要なものもあるが無駄なものも沢山ある。
そして、背負うものが増えれば増えるほど中心にあるものを見失う。
そこにこそ本当に大切なものがしまわれているというのに・・・。
決して忘れてはならないものが。
全てを脱ぎ捨ててでも思い出してみよう。
何も背負っていなかったあの時の無邪気な自分に戻れるように・・・。

人は一人で強くなれるのだろうか?
一人だけで強くなって来れたのだろうか?
そんな人間は、誰一人としていないだろう。
思い出してみて欲しい。
現在に至るまで、自分の周りには誰がいただろうか?
自分の成長を導き手助けしてくれる家族、自分自身というものを確立させてくれた周りの人、一緒に成長しようと切磋琢磨した友達、負けたくないと120%の力を出し努力させてくれたライバル、道を踏み外さないように時には厳しく、時には易しく先を照らし続けてくれた先輩、甘えるという状態から牽引するという自覚を持たしてくれた後輩、挙げればキリがない。
それらの人に出会うことが出来たからこそ、成長し強くなれたのではないだろうか?
今までに限らず、これからどんなに歳をとろうと、どんなに成長しようとそれは変わらないだろう。


皆が周りに成長させてもらって来たといっても、生きてきた環境が違う。
そんな人間が同じ空間に生きていると衝突もあるだろう。
自分の意見が正しい、間違っているということで衝突しているなら低次元である。
自分の生きてきた環境で学んできたこと、そこから得ることが出来た考え方は正しくていいのだ。
では、お互いの正しい考え方が食い違った時どうしたらいいのか?
お互いの正しい考えをお互いが理解した上で、新しい正しい考えを生み出せばいい。
それこそが共通理解になり、今後の成長へのきっかけとなるだろう。
自分の意見を相手に押し付けても相手は納得しない。
押し付けられた意見を受け入れるだけでは、その人間の成長はそこで止まってしまう。

今、特にそういったものが減少しつつある。
むしろ皆無に近いのではないだろうか?
去年までのチームの印象は、ファミリーのようだった。
しかし、今ではそのかけらも感じられなくなってきてしまった。
ファミリーのようなチームが良いとは言わないが、悪いとも感じない。
これだけ年代の離れた選手が一緒にプレーし、尚且つ年代差を感じさせないように接してくれるようなチームは中々ないだろう。
もっと、ファミリーでサッカーをしてる時ぐらいプライドというカベを取り払って接しても良いのではないだろうか?


初心を忘れるな。
大切なものを失って、無駄なものを守るな。
誰もが、もっともっと成長出来るのだから。
落ちるところまで落ちた今、これ以上落ちることはないだろう。
ここからは這い上がるだけ。
這い上がるために、無駄なものを脱ぎ捨てもう一度出直そう。
明日の自分に向かって・・・。

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2008年8月27日 (水)

第四七節 「アスリートで在る限りの心得」

アスリートで在り続ける為には、強い芯を持っていなければいけない。
芯がないものは、躓き道がそれた時に戻ってくる場所が分からなくなる。
それはアスリートとは言えない。

芯には決まったものはない。
人それぞれ、自分の信じるものを根底に置きそれを元に取り組んでいく。
それでいいのだ。

芯を表す言葉は難しい。
自身のやってきたことを一言で表すことと同じなのだから。
しかし、曖昧なままでは意味を持たない。
芯というものを自身がしっかり理解し、表現出来ることで初めて自らの向かう先が分かるのだから。

ある先輩からある文字を授けられた。
そこには大切なことが沢山詰まっている。
読むものによって捉え方が違うだろうが、それでいいのだ。
本当の答えなどどこにもない。
自分が感じ共感を得たもの、それが自分の芯となりえる信念なのだろう。
言葉の意味を理解しようと思わなくていい。
文字を読み、心で捉える。
そこに本当の答えが眠っているのだから・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・ある本からの抜粋・・・・・・・・・・・・・・・
1.あらゆる体験がその人の大きな力となり、人生の支えになる
2.難に遭遇した時こそ自分の真価を知る良い機会である
3.苦境を味わう気持ちになった時すでに問題は解決に向かっている
4.雨や嵐があってこそ晴れの有難さがわかり、苦しみや悲しみを味わった人に本当の幸せがわかる
5.一つの考え方にこだわっていると、新しい考え方は見つけられない
6.個人の幸せはチームの繁栄が確立してこそ成り立つ
7.与える時人は豊かになり、惜しむ時命は貧しくなる
8.異なる働きをしながら心を一つに合わせていくのがチームである
9.思いやりの心が乏しいと気付かぬ内に人を傷つける
10.勝った時はチーム全員の力。苦しい時一番惨めな人間のことを考えられる人間になれ
11.仲間の不足を思うのはその人間の一面しか見ていないからである
12.井の中の蛙になるな。チームメイトと比較しないこと。スポーツは自分自身との闘いである
13.過去の実績に囚われていると、伸びるものも伸びない。実績は今から作るもの
14.過去を自慢するものは進歩の止まった証拠
15.逃避しないこと。一つのことが出来ない人間は他のことも出来ない
16.十回やって一回勝てるとしたら、その一回を最初に持って来れば良い
17.ベンチの中で一人でも負けるかもしれないと思えば、試合には絶対に勝てない
18.マイナス思考にならず、プラス思考で常にいること。前向きに考えることが運を呼ぶ
19.欠点は人より時間が掛かる事なので、努力し長所を伸ばすことも決して忘れてはいけない
20.練習では一番下手だと思い、試合では一番上手いと思え
21.人が不幸になればいいなどと考えるな。それは最後に自分に返って来る。幸せは精一杯努力して自分自身でつかむこと
22.感謝する心が自分自身の幸せの基盤となる     
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


芯があるものは言葉として取り入れ、ないものは心に刻み込め。
それが芯となり、幹へと変わるだろう。
決して折れることのない信念へと。
それは、スポーツだけに限らず人生においても・・・

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